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8月の終わりに思うこと

宗教主任  石垣 雅子

〜聖書の言葉〜

主は多くの民の争いを裁き
はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。

日本聖書協会『新共同訳 旧約聖書』 ミカ書 4章3節

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8月という月が終わろうとしています。夏も終わりだという気配が漂って、秋の始まりを感じます。しかし、この国にあって8月という月は、戦争と平和ということを意識させられる時期であると思います。今年もテレビや新聞などの報道で、戦争と平和をテーマとしたものが多くとり上げられたと思います。それは何故か。この国が69年前に敗戦を経験したからです。広島・長崎に原子爆弾が落とされ、多くの人々の生命が奪われました。そして、当時の多くの人々が大変苦しい思いや大変悲しい思いをしたことを忘れないためなのだと思います。それらの経験を踏まえ、二度と戦争を起こしてはいけない、平和な世界をつくっていかなければならないとの決意に基づいていると思います。8月という月に、わたしたちはこの決意をもう一度思い起こし、確認しなければならないのだと思います。

けれども、この国の現実はどうでしょう。平和を求める方向とは逆の、平和を求めない方向へと向かっているように思われてなりません。もっと厳しい言い方をするならば、着々と戦争ができる国になろうとしているように思います。「集団的自衛権」という言葉と共に、他の国が武力を用いたらこっちも戦いますと言い始めたように思います。沖縄の辺野古では、反対する人々を排除してアメリカ軍のヘリポートをつくるための具体的な作業が始められました。ヘイトスピーチと呼ばれる、在日外国人を嫌悪しおとしめるようなことも続いているようです。決して平和を求めているとは言えない方向へ向かっていることを、わたしは不安に思っています。とても危険だなあと考えています。

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今日読みました旧約聖書ミカ書には、平和のイメージが語られています。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とあります。戦うための武器を農作業のための農具へと変えていくイメージが語られているわけです。さらに、「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」と語られています。わたしたちが望む平和な世界とは、このような世界だと思います。二度と戦争を起こしてはいけない。平和な世界をつくっていかなければならないというときの目標・理想をこれらの言葉は教えてくれています。

平和とは、誰か他人がわたしたちに与えてくれるものではありません。そうではなく、わたしたち自身が、どのような世界を求めつくり上げていくかに関係するのだということを強く思わせられます。今日読みました聖書の言葉は、平和の理想です。が、この理想をわたしたちは絶えず心に留めていかなければならないと考えさせられます。

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弘前学院聖愛中学高等学校
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