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他人のせいにせずに

宗教主任 石 垣 雅 子

〜聖書の言葉〜

 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。

新約聖書 ヤコブの手紙1章12節

I

 わたしたち人間はいつも色々な誘惑にさらされているのかもしれません。かく言うわたし自身もそうです。「これをやらなければならない」「あれを済ませておかなければ」と心の中で考えていながらできないことがしばしばあります。「明日でもいいや」と考えてしまうからです。なまけたいという誘惑に負けてしまっているわけです。あるいは、食べ過ぎ・飲み過ぎという誘惑にもしばしば負けてしまいます。
 今日の聖書にはこうありました。「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」と。ヤコブの手紙の著者は誘惑に負けてはいけないのだとわたしたちに語っています。何故なら、わたしたち人間は誰でもみんな誘惑に弱い存在であり、すぐに負けそうになるからだというのです。更に、わたしたち人間が受ける誘惑は決して神さまが与えるものではないとも語っています。

II

 というのは、こういうことではないでしょうか。誘惑に負けてしまったことを誰か他人のせいにしてはいけないということです。誰々のせいだとか、神さまのせいだとかと他人のせいにして、自分を正当化してはいけないと教えているのです。まわりが悪いので自分は道を踏み外したと言ってはいけないと語っているのです。
 わたしたちは様々な場面で自分に起こった出来事を他人のせいにしがちです。わたし自身も「これをやらなければ」と思っていて結局できなかったことを「忙しかったから」とか「別な仕事が入ったから」と言い訳してしまいます。でも、そうしていてはいけないのだと思います。自分の起こる色々な出来事を他人のせいにせず自分自身で引き受けていくこと。それが大切なことだと思います。誘惑に負けてしまうこともある弱いわたしたちです。でも、今日一日、精一杯に、誠実に歩んでいきたいと願います。

 

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弘前学院聖愛高等学校
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