| 過去問の入り口 |

2005年入試(国語)

解説

問三(2) 「竹ちゃん」がなぜ「誉められたのに、意外に冷めた表情をしている」のかは、直後の本文を読むと明らかである。大木さんにヨットを誉められたうれしさで「僕」が思わず「竹ちゃん」を見ると、「竹ちゃん」は「何か考えて」おり、「冷静な声」で大木さんに対してマストにカーテンレールを取り付ける方法をたずねるのである。この描写から、うれしくて感動している「僕」とは異なり、「竹ちゃん」はまだ完成していないヨット造りの作業のことで頭がいっぱいであることが読み取れる。
問七 傍線部の前後を読むと、「僕」にとって大木さんの言葉はどんなものであったかがわかる。「僕」は大木さんの言葉に「ただただ頷くだけだった」こと、その言葉には「神聖な響き」があったこと、「強く憧れた」こと、「今すぐにでも大木さんになりたいと思った」ことが書かれていることから、「僕」にとって大木さんは船造りの神様のような存在として映り、尊敬の念や憧れの気持ちをもってその言葉を聞いていることが読み取れる。そこから「肌で直接、言葉に触れているような生々しさがあった」という表現のもつ意味合いを生かしている選択肢を選ぶと1が最も適切である。
問八 「そんなん分かっちょる」という言葉に表れた心情については文脈から判断するしかないが、まずリード文が手がかりとなる。リード文では「僕」と「竹ちゃん」には「自分たちでヨットを造り、玄界灘の無人島へ行こう」という夢があることが紹介されており、その後の本文で二人が「初島」をあえて「宝島」と呼んでいることなどを考え合わせると、「初島」がどういう島であれ、二人にとっては「夢」の「宝島」なのだということが読み取れる。

問七 傍線部の直後に「企業原理というものは、砂に水がしみ込むように、ちょっとの隙間でも商業の道をみつけてしみ込んでいく。」とあります。「商業の道」とは、「儲ける方法」ということです。さらにその直後には、「辞書はムリだとしても、宗教の一問一答  なんて前辞書的な物件は発明されるかもしれない。」とあります。つまり、本物ではなく、「それに似たようなもの」によってでも、儲ける方法を考えるだろうということです。不可能を乗り越えて何とか「実現しよう」とか、「人の役に立ちたい」とか「努力を続けたい」ということではないことが分かります。
問九 「宗教の『知識』のためなら、宗教の前辞書的な本が電卓で出来るかもしれないなと思う。」とあります。「知識」という言葉に「 」が付いています。このような「 」は留保を示す働きを持ちます。つまり、「宗教においても、知識は確かに大切なものだが、一番大切なものは別ですよ」という筆者の考えを示しています。従って、「宗教の『知識』」について全面的に肯定している2は誤答となります。また「前辞書的な本」とありますが、これは傍線部6で「宗教の一問一答なんて前辞書的な物件」と述べられ、その直後では観光客相手の土産物としての「宗教のマンガ」が、似たようなものの例として挙げられています。つまり、安直なものとして述べられているのであり、3の「専門家の力を集めれば」というようなものではないのです。4はその安直なもので「生き方の指針も明快な情報となり」とあり、まったく的はずれな内容です
問十二 「ぼろ儲け」の言葉の意味だけなら、4の「苦労することなく多くの収入を得ること」があてはまります(「流行を生みだし」は必ずしも当てはまりません)。しかし、これは比喩として使われている言葉です。その比喩の内容、つまりどういうことを例えた言葉なのかを答えなければなりません。傍線部直後に「正常な、公定価格の儲けだけだ」とあります。これは、その言葉の実際の価値(どれだけ深い内容を持つ言葉かということなどで決まる)が人々に理解され、その価値通りの受け入れ方をされるということです。ですから、「ぼろ儲け」とは、実際以上に何か深い意味を持っているように感じさせるということであり、正答は2となります。3は「内容を伴わない言葉」という部分が言い過ぎです。人々は、意味がよくわからないために、実際以上の価値があると錯覚しているのであり、内容を伴わないということとは違います。1は論旨にないことです。

| 過去問の入り口 |
弘前学院聖愛高等学校
http://www.seiai.ed.jp/